地域のアイデンティティを見つめる (Noir Row Art Space)

いつか書こういつか書こうと思いながらずっと始められていなかった情報発信。意を決して、この世界的パンデミックの影響で日本から出られない状態でいる日々の中、筆をとってみる。

ずっとやりたかった情報発信、それは東南アジアで出会った、様々な場を運営している友人たちのことを紹介すること。前職を退職した直後の2018年5月にも、インドネシアやベトナム、フィリピンを訪れ、前から行ってみたかったオルタナティブ・スペースや小さなギャラリーを突撃訪問し、そこにいる人の話を聞かせてもらったり、いつか情報発信しようと写真を撮らせてもらったりした。それからすでに2年・・・重すぎる腰、いや筆を持つ手を上げ、書き始めることにしたい。あの時出会った紳士淑女の面々はもう同じ仕事をしていないかもしれないけれど、可能ならばそれも確かめた上で、近いうちに書き改めて公開したい。そして、願わくば、ここに紹介する友人たちや、彼らが愛情を傾ける場所と、いつか一緒に仕事ができますように。

さて、第一便は、タイの東北部ウドンターニー県にあるNoir Row Art Spaceについて。ウイ(パナチャイ・チャイジララット)とソム(プンニサー・シラパラサミー)というすてきなアーティスト夫婦が運営しているアートスペースだ。

左がソム、右がウイ

なぜここを最初に紹介するかというと、私が一番最近(と言っても2020年2月に)訪問した場所で、比較的信用できる記憶がまだ残っているから。そして何より、大都市ではない自分の地元でスペースを始めたいという思いを実行した彼らに共感し、また羨望の思いも持っているからだ。ちなみにウドンターニーはウイの出身地。

2017年10月にオープンしたNoir Row Art Space(ヌアロー・アートスペース)。Noir Rowはオーナー2人の造語で、Noir(ヌア)はタイ語の東北弁で「集まる」もしくは「おいしい」を意味する。Rowは英語で列や並を表しており、彼らのスペースが、ウドンターニー市内にあるショップハウス(タイと言うか華僑文化圏でよくある1階が店舗・その上階が住居となっているユニットが横にずっと続いているビル)の1棟を改装していることを指す。この一見狭そうに見えて奥行きのある1棟に、ギャラリースペースと工房スペース(ワークショップも開催できる)を併せ持ち、イベント開催時には20~30人を収容可能。

イギリスでMFAを取得したウイは、彫刻家でもあるソムと一緒に、「アートの街」とは言いがたい地元でもっと多くの人にアートを楽しんでもらうこと、また、土地の記憶を辿りウドンターニーおよび地域のアイデンティティを見直すことに挑戦したいと、スペースの運営を始めた。イマドキ風の美男美女の風貌をした2人だが、流行り物をやろうということではなく、地に足が着いたことをやろうとしているところにグッと心を掴まれる。その背景には、今や英語のガイドブックにも掲載されている国立公園の池に浮かぶラバー・ダック風(この「風」がポイント)の大きなアヒルが県のランドマークとして売り出され(※注1)、作られたアイデンティティによって、それ以外の昔から土地にあるものたちが見えにくくなってしまっている現在のウドンターニーの状況があると言う。こうした現状に疑問や好奇心を抱き、自らの問いに対して、彼ら自身も地域のことを知り直す過程でプロジェクトを展開していく場としてのスペースなのだ。そのプロジェクトには、地元の素材を使用した陶芸や染物のワークショップ、上映会、地元の様々な分野(食、陶芸、地史・民俗史など)の専門家やアーティストによるトークイベント、また、スペースを離れ、県内に残る近代史遺跡をサイトにした現代美術の展覧会を開催したりもしている。

ウドンターニーの地政学

ウドンターニー県は、タイの東北部に位置する比較的大きな県で、首都バンコクからは約560キロ離れている。タイは、行政上、中央部・北部・東北部・東部・西部・南部と区分されており、タイ東北部は、タイ語で通称イサーンと呼ばれる地域だが、そのイサーンには全部で20県(タイは全部で77県もある)が含まれる。そして、さらにそのイサーンの中で北および東側の国境を接するラオスと文化を共有する北東北(12県)と、南側の国境を接するカンボジアのクメール文化の影響がより色濃い南東北(8県)に分かれている。(食文化も見てみると、ベトナムからも影響を受けていることは自明だ。)日本も地域の中をさらに北と南に分けたりするので、このあたりは感覚的に掴みやすいかもしれない。そしてウドンターニーは、北東北に位置する。

元々は米の一大産地で、青銅器時代の遺跡(世界遺産のバーンチエン)も残るような豊かな土地だが、近代は、他の東北の県と同様、ベトナム戦争下に米軍駐留地が作られたことで、60〜70年代に大きく経済発展を遂げた街として知られる。当時のタイは、他の東南アジア諸国同様、開発独裁と呼ばれる政治体制の元、インフラの整備が急速に進んでいったが、その裏にアメリカあり、というのは世界のどこかでもみられる構図かもしれない。タイ政府は、インドシナ半島の共産主義化をなんとか阻みたいアメリカに協力する道を選んだのだ。現在もタイ東北部を縦断する主要高速道路として物流を支えるFriendship Road(タイ語ではタノン・ミットラパープ)はこのときアメリカにより建設されたもの、つまり、フレンドシップはアメリカと結んだもの、と言うことになる。この道路の終着点は、タイとラオスを隔てるメコン川にかかる橋である。

その時代、ウドンターニーにあったタイ軍基地は米軍を受け入れるために拡大し、街中には駐留米兵用の宿泊施設や娯楽施設なども作られていった。並行してサービス業も発展し、関連の職につく地元住民が増えていく過程も想像に難くない。やがて地元の女性と結婚する米兵が出てきたり、それなのに終戦とともにアメリカに帰国してしまう米兵が出てきたりするのだ。ウドンターニー県立博物館には、この時期の急速な発展とその後の米軍撤退による経済低迷の歴史についても丁寧に展示されている。その紹介はまた別の機会に。ベトナム戦争特需で発展を遂げた県はタイ東北部では他にもあり、主要国内空港はこの時の遺産だったりする。これもまた別機会に執筆することにしたい。

こうしてタイ東北部に作られた軍事拠点から米軍は北爆に行き、いわゆるホーチミンルートの破壊工作を行った。ベトナムの犠牲は言わずもがなだが、タイとベトナムに挟まれるラオスにも多くの爆弾が落とされたことは見落とされがちだ(人口当たりで落とされた爆弾の数は世界一だと言われている)。タイにある基地から出撃していった米軍機は、作戦上ベトナムに落とさなかった/落とせなかった爆弾を、機体に装着したままタイの基地に戻れない等の理由でラオスに捨てていったり、実際には、ラオス内戦を隠れ蓑にして、アメリカによる「秘密戦争」と呼ばれる、西側と東側の代理戦争もラオスの地で繰り広げられたりしていた。ウドンターニーは、地理的重要性からベトナムやラオスでの米軍による軍事行動のための本部基地として利用されることになったのだ。ラオスでは今も当時の不発弾が数多く眠っているが、タイでは、隣国の同胞がこのように犠牲になっていた事実は、公の歴史教育では積極的には教えられていない。これもまたどこかの国で聞くような事態かもしれない。

アートをもって地域を耕す

背景情報に大きくスペースを割いてしまったが、ウイとソムは、Noir Row Art Spaceで、こうした忘れられつつある歴史や遺構を改めて学び、地域のアイデンティティを見直すプロジェクトを実施している。私が訪問した際は、アートスペースに入ってすぐの場所で、ウイが収集しているベトナム戦争関連の資料や遺物が展示されていた。

 

「まだベトナム戦争?」という印象を持つ人もいるかもしれないが、現在の街の姿を形作った歴史を置き去りにしたまま街のアイデンティティは語れない。20196月には、冷戦期の遺産で今はタイ陸軍が博物館として活用している旧米軍施設ラーマスーン基地を使って、現代美術の展覧会「Parallel : The Ramasun Station Art Trail」をキュレーションした。

なんとこの種の基地は、世界に9つしかないという巨大レーダー基地で、冷戦期の米軍による諜報活動のために使われていたという。米軍撤退からはや40年、2018年にタイ陸軍が新たな観光資源として博物館としての運用を開始したが、時代の変化に取り残されてしまったようななんとも形容しがたい空気をまとうこの冷戦遺構は、怪しい新興宗教施設のような宇宙基地のような場所に見えなくもない。日本では三沢に似たようなレーダー基地があったらしい。

まるでパラレルワールドに迷い込んだかのように感じさせるこの施設で、ラオスやベトナムの作家を含む計18名の現代美術作家の作品が、司令部のオフィス、基地内地下通路、滞在米兵のための居住区にあるプールや体育館などを使って展示された。映像や写真、インスタレーションなどの現代美術作品が展示されたが、歴史の複雑さや悲哀を内包するこの場所で、アートがどのように生きるのか、この土地との対話を生み出すことができるのか、はたまた空虚さを醸し出す巨大基地跡を前に無に帰すようなことになってしまうのか、そんなことに挑戦したかったのだと、彼らは言う(*2)。私は展覧会を見ることはできなかったが、実際にどうだったのかはタイのアート系メディアの記事をいつか紹介できるようにしたい。

この他、彼ららしいおしゃれなグッズ作りも行なっている。上述のラオス(シエンクワーン県)に眠っていた不発弾に使用されていた金属を溶かして金属板にし、自分たちのアートスペースの名前を刻んだプレートに加工して、グッズとして売り出したりもしているのだ。かわいさの中にも皮肉が効いているというのが良い。それはまた、不発弾を自ら掘り起こし、その金属片を売って生計を立てざるを得ない地元の人々の生きる術へのオマージュでもあるのだろう。

こうした彼らの課題意識に基づくプロジェクトは、ウイとソム二人のプロジェクトのみに止まらず、バンコクにある芸術大学(シラパコーン大学)との協働にも拡大している。ウドンターニー市街地に残るベトナム戦争時の記憶を残す建物(米兵が多く宿泊していた旧宿泊施設や旧映画館)の調査や、タイに残ったもしくは帰国したけれどまだタイと行き来のある退役米軍人、米兵とタイ人女性の間に生まれた子ども(今はもちろんそれなりにおじさんおばさんだ)や当時の記憶を有する人へのインタビューなどを実施し、その過程やリサーチ結果を地元のラジオで放送するプログラムなども実施している。それらは将来また展覧会という形で目にすることもできるかもしれない。(*3)

今後も、アートを介して土地の記憶を辿り、地域のアイデンティティを見直すような活動を続けていきたいと言うウイとソム。Noir Row Art Space自体が、ウドンターニーという街を舞台にした彼らのサイトスペシフィックな作品のように感じる。実は、2020年2月に私がウドンターニーを訪れた際には、彼らの試みにとても感銘を受け、沖縄の米軍基地(当時の沖縄は本土復帰前)もベトナム戦争の出撃基地として利用されてしまっていた歴史があるし、それをアーティストと一緒にリサーチするとか、何か企画を作ろう!と盛り上がっていたのだ。が、その後あれよあれよとパンデミックに突入、国境は瞬く間に閉鎖され、国をまたぐ移動はいつ解禁されるか全く見えない。このコロナ禍で、ウイとソムも活動を縮小せざるを得ず、どこにも出て行けていないと言う。しかし、世界がこのまま閉じたままでいることはないだろう。あの時盛り上がった企画を実現する日まで、それぞれの場所で準備し温めておこう。

 

(文・鈴木一絵)

*1: Hell of yes: Giant Rubber Duck floats Udon Thani pride(英文記事)

 https://coconuts.co/bangkok/news/hell-yes-giant-rubber-duck-floats-udonthani-pride/ 

*2: 展覧会キュラトリアル・ステートメント 

https://www.facebook.com/events/348215962554464/ 

*3: ウェブサイトが公開され次第リンク予定